お役所仕事

お役所仕事は形式的でこそ

「お役所仕事」というと、あまり良いイメージはない。辞書でしらべてみると、

「楽をしたがり、保身的で融通がきかない仕事の仕方」

「とかく形式的で不親切・非能率になりがちな役所の仕事を非難していう語。」

と、まぁ、けちょんけちょんである。

最近の役所は必ずしも不親切でもないと思うし、窓口の対応を見ている限り、楽をしているというほど皆さん暇でもなく、真摯に仕事をしているように思う。にもかかわらず、保身的で融通がきかず、形式的で、非能率的なのが、お役所仕事の世間での評価のようだ。
だが、この「お役所仕事」が「お役所仕事」でなくなると我々行政書士は困るのだ。

行政とはなんだ?!

三権分立の基本に立つと、

立法

法律を作る

司法

法律通りにおこなわれているかを判断する

行政

乱暴だが、それ以外

国家がおこなう行為で、国会と裁判所を除くものは行政になる。法律を作ることもしないし、法律通りにおこなわれているかを判断する立場にもない。ひたすら法律通りにことをすすめるのが本来の行政ということになる。融通が利かなくて当然ですある。

行政にも融通はある

当然ではあるが、それではさすがに、現実的な対応はできないし、そもそも箸の上げ下ろしまで国会で決めるなど不可能である。そこで、一定の裁量が認められている。これを行政裁量という。

行政裁量

裁量といっても、勝手なことをやられても困る。そこで、
 「現場の皆さん、こういう風に判断してくださいね」
と本庁から指示がでる。これが、規則であり、さらには告示とか通達と呼ばれている。

マニュアルがあるからこそ…

つまり、裁量といってもその大半はマニュアルがある。当然、形式的である(難しい法律用語では羈束行為という)。そして、行政はマニュアル通りに動くことを義務付けられている。このマニュアルは公開されており、それ故に我々行政書士もそのマニュアルの隅々まで読み込む。
行政にとってのマニュアルは我々行政書士にとってもマニュアルなのである。それゆえ、これが形式的でなくなると、我々、行政書士は極めて困ったことになる(多分、弁護士を除く士業はもれなく同じだと思う)。

国税庁の建物

時折、酒販免許のような許認可で
 「とれなかったときは費用はかえしてもらえるんでしょうか」
という質問がくる。その時の答えはこうだ。

 「条件を満たせば必ずとれます。条件を満たしているにもかかわらず却下をすることは行政には許されていません」

そう答えられるのも公開されているマニュアルがあるからである。

許可という行為についていえば、原則、行政は勝手な判断はできない。逆にいえば、許可をとりたければ条件をクリアしなければならない。運がよければ、お金も時間もかけずに、その条件にあっているということもあるかもしれない。だが、許可をとって営業をしたければ、条件をクリアするために、それなりの投資も必要なのだ。

もっとも、最初から行政が決めていいと予定されている行為もある。自由裁量という。鉄道事業者への許可など政策的な判断が及ぶような行為、特許と言われている処分がこれにあたる。

つまり、行政裁量が発揮されるのは、極めて特殊なケース、高度な判断のとき、もしくは現場の些細な部分と言うことになる。我々行政書士が常日頃申請するような許認可に関しては、基本的には、一般の人が思うような裁量は発揮されない。逆に融通を利かされても困るのだ。融通が良い方にきくとは限らない。

行政が形式的でなくなると?

それでは、行政が革新的で、融通がきいて、形式的ではなくなったらどうなるのか。
そうなると、それぞれの部署の判断、個々の担当官の判断が大きく働く可能性が高い。行政に属する個人は同時に市民である。有力者の圧力もあれば、昔からのしがらみもある。親族もいる。裁量が悪く働く可能性もたかくなる。結局、融通がきかない不自由さは、平等、公平、更正の裏返しでもある。少々の手間くらいは我慢しても良いのではないかと思うのである。

ちなみに、ここでいうところの行政とは国のことである。地方自治体には適応されない。ただ、地方自治体も同じような条例を作成し、公開している。

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