ナルニアに行けるかもしれない

ナルニア物語という児童文学がある。全7話のうち3話はディズニーで映画化されたので、最近は知らない人はいないが、ついこの間まで、私のまわりにこの物語を知っている人は皆無だった。この作品は、聖書を子どもが理解しやすいようにという意図で書かれている。私の家はカトリックということもあり、日本で出版された直後に母が揃えてくれたのだが、順次発売されるのが楽しみでしかたがなかった。(C.S.ルイスは、カトリックではなく、プロテスタントとの中間的な立ち位置のアイルランド国教会という宗派です)

ナルニアという国の誕生から消滅までが描かれ、私たちの住んでいる世界とは時間の流れがまったく違う。各話の主人公は一瞬にして時限を飛び越えナルニアにいく。典型的なファンタジーなのだが、どうやら単なるファンタジーでもなさそうなのである。

ナルニア国物語の本が並ぶ

量子力学や物理学が番組でとりあげられることがある。私も好きでよく見る。(ただし、私の知識は、高校の数学や物理学になんとかぶらさがっていられる程度である。)

私たちが子どもの頃、知ったかぶりをする子ども達(だいたい男子だ)は、相対性理論で宇宙の全てが語れるように会話をしていた。もちろん、その中身などなにもわかってはいない。まぁ、今の私がその種の番組を楽しんでいるのと大差ないかもしれない。

そんな番組で紹介されている最近の研究では、縦・横・高さに時間を加えた4時限という我々の常識は古典の世界の話で、どうやら宇宙は11次元で構成されているそうだ。残りの次元はいったい、どこにあるのか想像もつかないのだが、それどころか宇宙はいくつもあり、パラレルワールドすら想像上の話ともいえないらしい。

そうなると、もしかすると「僕もナルニアに行けるかもしれない」とワクワクしたりもするのだが、ナルニアには子どもしか行けないらしい。

11次元のこの宇宙やパラレルワールドに未だにワクワクしている私は、十分、子どもだと思うのだが、聖書にもこのように書かれている。

「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。」

- マタイによる福音 18章2節

女性とライオン

残念ながら少しとしをとり過ぎたようである。

その小説の最終章「最後の戦い」でナルニアという国が消滅するときに、アスランというライオンの「私は、あなたの国では別の名前で呼ばれている」というセリフがある。イエス・キリストを指しているのだが、それが誰であれ、どの宇宙、どの次元であっても、私たちが正しいと思っていることが等しく正しいと思われている宇宙であって欲しいと思う。

「互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音 15章12節)

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