代書屋、起請文に唸る
『代書』と『三枚起請』に学ぶ、許認可より難しい書類の話
久しぶりに『代書』を聴いた
このブログのタイトルの由来でもある落語『代書』を、久しぶりに聴き直した。昭和の初めに四代目桂米團治が、自身の代書屋稼業の経験をもとに作った上方落語だ。履歴書を書いてもらいに来た男がまるで要領を得ず、生年月日を聞いても職歴を聞いても話があらぬ方向へ転がっていく。代書屋はひたすら振り回される。
笑いながら、少々身につまされる。代書屋の苦労は今も昔も変わらないからだ。
やりたいことを延々と語られ、許認可と会社の規模を頭の中で組み立てているうちに、結局なんの依頼かわからなくなる。しかも話が終わったと思った頃に「そういえば」と新事実が出てくる。噺に登場する代書屋とグチを肴に飲み交わしたくなる。
代書屋の最難関とは何か
この稼業を長く続けていると「いちばん難しい書類は何ですか」と聞かれることがある。建設業許可か、入管の申請か、はたまた医療法人の設立か。いや、間違いなく非定型の契約書だ。
許認可の申請書には、法令があり、様式があり、役所が作った手引きまである。書くべき項目は決まっていて、足りなければ窓口が補正を教えてくれる。答案用紙の枠が最初から印刷されている穴埋め問題といったところだ。
非定型の契約書には、その枠がない。依頼人の頭の中にしかない約束を、白紙から文字にしていく。何を決めていて、何を決めていないのか。揉めたらどうするのか。本人たちも考えていないことを、先回りして書かなければならない。
しかも審査官はいない。欠陥は、揉めて初めて明らかになる。そして最後にその書類を読むのは、役所の担当者ではなく裁判官かもしれない。
究極の非定型契約、起請文
非定型の契約書から思い出す噺に『三枚起請』という傑作がある。
吉原の花魁が「年季が明けたら夫婦になる」という起請文を書いて客に渡す。起請文とは、神仏に誓いを立てる誓約書のことで、熊野の牛王宝印の護符の裏に書き、嘘をつけば熊野の烏が三羽死ぬと言われていた。
ところがこの花魁、同じ起請文を三人の男に渡していた。それが発覚し、三人が揃って乗り込む。問い詰められた花魁の開き直りと、烏にまつわる見事なサゲは、ぜひ高座で味わっていただきたい。
行政書士として起請文を読む
起請文を非定型の契約書と読むと、その目的は「夫婦になること」、つまり婚約の証拠書類だ。「権利義務に関する書類」といえなくもない。だとすると、行政書士の業務範囲に入りそうである。現代でいえば「婚前契約書」が一番近い。もっともこちらは、結婚する約束ではなく、結婚することを前提に財産分与などの約束事を決めておくものなので、ある程度フォーマットが確立している。
さて、この起請文を契約書とすると、実に心もとない。年季明けがいつなのか、履行期が書かれていない。違約の定めはあるにはあるが、嘘をつけば烏が死ぬという。違約金の負担者が当事者ではなく烏なのだ。これでは花魁は痛くもかゆくもない。
しかも、最大の問題は、同じ内容の誓約を三人と交わしている点だろう。不動産の世界でよくある二重譲渡と同じ状態だ。二重に売られた土地は、先に登記を備えた者が勝つ。残念ながら起請文には登記制度がない。三人の男は、誰が第一順位かを主張する術を持たない。
この起請文に何か付け足すとすれば、「他の者に同様の起請文を差し入れていないことを表明し、保証する」という一文くらいだろうか。いわゆる表明保証条項である。三人の男に必要だったのは、熊野の神様より、この一行だったのかもしれない。といっても、江戸時代の吉原では日常茶飯事、真に受ける方が野暮ってもんだ。
結び
というわけで、私の事務所では定型の許認可も非定型の契約書も承る。起請文も業務範囲ではありそうだが、三通目の依頼が来たら丁重にお断りする。熊野の烏のためにも。
さて、久しぶりに浅草演芸ホールにでも行ってみますか。運が良ければ『代書屋』か『三枚起請』が聞けるかもしれない。どちらに当たっても、身につまされることに変わりはありませんが。