浅草の風、少々「規制」という名の凪が吹く?

 今回は、頻繁に話題になるオーバーツーリズムの話だ。浅草も観光地である以上、その影響は少なからずある。私が知る限りニュースになるような問題は聞かないが、それでもことある毎に不満は聞こえてくる。他の地域では外国人を閉め出す動きもあるらしい。しかし、外国人が増えるとマナーが悪くなる、だから追い出すと考えてしまうのも少々短絡的すぎる気がする。人ごとではないので、そんな話を考えてみたい。

町を歩いて聞こえてくるのは、いまや日本語よりも、外国語である。英語、スペイン語、フランス語は頻繁に耳に入ってくるが、私には、何語かまったくわからないような言語が聞こえてくることも珍しくない。昔なら、少々の食べ歩きはさほどもんだにはならなかった。ただ、ここまで人が増えると話は別だ。食べたものの堤をそこらに捨てる輩もいれば、他人の服を汚すこともある。そんなこともあって、狭い浅草の町は、マナーの維持に必死である。浅草寺周辺のアナウンスも、日本語、英語、中国語でマナー向上を呼びかける。浅草と山の手、東京と大阪ですら常識に差があるのだ。ましてや、海外となれば当然である。さて、浅草はこの問題をどう乗り越えるのだろうか。

ここで少し歴史を振り返ってみたい。そもそも浅草という町は、新しいものを受け入れ、自分たちの血肉に変えていく「ごった煮」の天才だった。今では当たり前にある「洋食」も「中華」も、実はこの浅草が事始め。ハイカラなカツレツを「これはいける」と箸で突き、得体の知れない大陸の麺料理を「支那そば」として定着させた。外から来た文化を拒むどころか、真っ先に面白がって飲み込んできたのが、この町の歴史なのだ。

しかし、バブル期以降、東日本大震災の頃まで、浅草という町はひたすら下降線をたどってきたと思う。夕方5時、6時になると店は次々シャッターを閉め始め、7時には人っ子一人いない。自転車で新仲店を突っ走っても誰からも文句を言われない時代が続いた。それが、いまや、9時を過ぎても人通りが絶えない。ブロードウェイ周辺などは深夜まで人が観光客で賑わう。サイゼリヤはついに朝まで営業するようになった。浅草が復活したのだ。

深夜12時でもまだ明かりが、、



そう考えれば、「観光客の急増」や「それに伴う規制」という騒動も、浅草にとってはごった煮の新しい味付けのひとつにも思える。

当然、最低限の規制は必要だ。しかし、そんな規制も、言ってみれば「祭りを長く続けるための、ちょっとしたレシピの調整」のようなものと思えばよかろう。例えば、ポイ捨てや食べ歩きの制限。これは観光客を縛るためではなく、次にこの町を訪れる誰かが、また気持ちよく「浅草の空気」を吸えるようにするための、お節介な心遣いである。規制は、居酒屋の「のれん」みたいなものと思えば良いだろう。私が若かったころは、のれんをくぐる資格みたいなものがあった。飲みに出歩くようになって、こういう振る舞いをすれば一人前というのを、父親や先輩達から学んだものだ。

地元の人間や、浅草を愛する者が「粋な振る舞い」を背中で見せていれば、海を越えてやってきた連中も、自然とそれを真似たくなると思いたい。かつて洋食や中華がこの町に馴染んでいったように、観光のルールもまた、浅草の新しい日常として溶け込んでいくはずだ。

さて、爺いの難しい話はこのくらいにして、そろそろ「来集軒」のシュウマイか「ヨシカミ」のステーキでも目指そうか。どうやら、私の食欲にだけは規制がかからないようだ。


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