昭和親父はコンプラ違反か?

ひっくり返るちゃぶ台

テレビの中の絶滅危惧種たち

先日、youtubeで昭和の映像をハシゴしてしまった。一つは『寺内貫太郎一家』、もう一つはアニメ『巨人の星』である。小林亜星演じる貫太郎と、言わずとしれた星飛雄馬の父、一徹。
昭和の茶の間において、彼らは「父親の威厳」の象徴だった。

しかし、令和の今、この二人の挙動は「不適切にもほどがある」のである。

星一徹の「養成ギブス」は児童福祉法違反か

まず、日本一有名な頑固親父、星一徹である。彼の代名詞といえば「ちゃぶ台返し」だが、実はアニメ全話を通しても、実際にちゃぶ台をひっくり返したのは一度だけ(しかも事故に近い)らしい。人間の記憶とは適当なものだ。しかし、ちゃぶ台以前に、彼にはもっと重大な法的懸念がある。あの大リーグボール養成ギブスだ。成長期の息子の体にバネを巻き付け、日常生活すらままならない負荷をかける。これは現代なら「児童虐待防止法」における身体的虐待に該当する可能性が極めて高い。さらに、幼少期からの過度なトレーニングの強要は、教育の範囲を超えた「人権侵害」であり、もし彼が現代の少年野球のコーチなら、連盟から永久追放、SNSでは大炎上間違いなしだ。「巨人の星」を目指すという崇高な目的があったとしても、「目的は手段を正当化しない」のだから非難は免れない。一徹父ちゃん、今なら即、児相(児童相談所)に通報されてもいたしかたない。

寺内貫太郎の「暴れっぷり」とDV防止法

続いて、東京・谷中の石屋の主人、寺内貫太郎。彼のキレ方は一徹のようなストイックな指導とは違い、感情の爆発だ。些細なことで激高し、ちゃぶ台をひっくり返し、息子(西城秀樹)と取っ組み合いの喧嘩になり、最後はばあちゃん(樹木希林)が「ジュリー!」と叫ぶ。

これを冷静に分析すると、食器が割れれば器物損壊罪(刑法261条)。味噌汁が家族にかかれば暴行罪(刑法208条)、息子を引きずり回して怪我をさせれば傷害罪(204条)だ。家庭内であればDV防止法の対象になり、精神的暴力としても認定されるだろう。警察に通報されれば、貫太郎は即刻連行、接近禁止命令が出されて一家離散である。現代のコンプライアンス基準において、昭和の頑固親父たちの振る舞いは、違法行為のオンパレードだ。

それでもなぜ、彼らは愛されたのか

では、コンプライアンスでガチガチに固められた今の社会が、昔より豊かになったかと言われると、即答できない自分がいる。一徹にも貫太郎にも、共通しているものがある。それは自分の価値観を信じて疑わない、そこからくる「相手の人生に対する、狂気じみた責任感」だ。

一徹は息子の栄光のために、自らの人生の全てを捧げて「鬼」になった。貫太郎が暴れるのは、不器用すぎて言葉で愛を伝えられないからだ。現代のビジネスライクな関係にはない「熱量」がそこにはあった。最近の若い経営者や管理職からの相談で多いのは、「部下をどう叱っていいかわからない」という悩みだそうだ。「ハラスメントと言われるのが怖くて、何も言えない」その結果、部下は育たず、ミスは隠蔽され、組織は静かに腐っていく。「無関心」という名の、もっとも残酷なハラスメントと言えるかもしれない。

正しい「ちゃぶ台返し」のススメ

日本の伝統、頑固おやじのイラスト

誤解のないように言っておくが、私は暴力を肯定するつもりは毛頭ない。自分の父親は一切怒らない人だったので、一徹や貫太郎のような人物が自分の父親だと思うとぞっとする。養成ギブスも暴力も、令和の世には不要だ。

ただ、一方で昭和の頑固親父が持っていた「相手と本気でぶつかる覚悟」まで捨ててしまってはいないだろうか。先日、元サッカーの日本代表選手の福田正博氏がyoutubeの番組で「自分たちの頃は感情の爆発だけで、建設的な話はできなかった。今の若い人たちはその技術をみにつけている。一方で、冷静すぎて熱さが伝わってこない。人に何かを伝えるときには熱さも必要じゃないか」という趣旨の話をしていた。同感である。人格は否定しない。でも、間違っていることには本気で熱くなる。心のちゃぶ台くらいは、たまにはひっくり返してもいいのかもしれない。

少々時代遅れでも「それは違う!」と本気で言ってくれる大人が、浅草くらいには残っていてもいいじゃないかとも思ったが、わたくしも十分昭和の爺いなので、せいぜい威厳を振り回さず、大人しくしていた方が良さそうだ。

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