キエフがキエタ?
キエフがキーウになった
ウクライナからの要請なのか、国会議員からの発案なのかはよくわからないが、ウクライナの首都キエフの呼称がキーウに変わった。外務省によると呼称の変更には基準があるようである。
- 相手国との関係
- 他の国や都市との混同の恐れの有無
- 世間への浸透具合
の三点だそうだ。ウクライナがそう望んでいるのであれば、1はクリア、まぁ、2もたぶん、クリアなのだろう。問題は3だ。僕たちロック世代のロックファンの多くが、「浸透具合を考えるのであれば、キーウはないだろう」とおもうはずだ。
”キエフ”じゃなきゃいけない理由
エマーソン・レイク・アンド・パーマー、略してELPのアルバムに、「展覧会の絵」という名作がある。原曲はムソルグスキーのピアノ組曲だが、そのエンディングは「キエフの大門」という楽曲である。
1972年7月22日、後楽園球場でELPのライブがあった。大雨の中行われたこのライブは、今でも語られる伝説のライブだ。演目はもちろん「展覧会の絵」。受験を控えた中学3年生の私はこの会場にいた。つまり、私の青春の思い出なのだ。今更、今日から”キーウ”と言われても困るのだ。
だが、原曲の作曲者ムソルグスキーはロシア人である。キエフと呼んでいたはずだ。だったらキエフでいいじゃないか?少なくともこの曲のタイトルだけはどうかキエフのままでいてほしいのだ。
”キエフの大門”のメッセージ
この曲にはグレッグ・レイクによって歌詞がつけられている。
They were sent from the gates
彼らは大門より送られてきた
Ride the tides of fate
運命の潮流に乗って
In the burning all are yearning for life to be
生きたいという強い思いで、
There's no end to my life
私の人生に終わりはない
No beginning to my death
私の死に始まりはない
Death is life
死が生
今、改めて聞くと、戦地に赴く兵隊が目に浮かぶような、実に意味深い詞だ。
この曲の発表の2年ほど前「戦争をしらない子供たち」という曲がはやった。戦後生まれで平和ぼけした世代の歌だ。私もその世代だ。世界中で、ドンパチやっていても、いつも対岸の火事であった。どうやら、今回は、そうもいかないかもしれない。夢物語かもしれないが、できれば、誰もが「戦争をしらない子供たち」のまま一生を終われる時代がいつかきてほしいものだ。