優雅なランチと燃料補給
噛み合わない「時間の流れ」
最近、浅草で昼飯を食うのがちょっとした苦行になってきた。すぐに入れる店がすくないのだ。雷門通りや仲見世周辺を歩けば、どこもかしこも長蛇の列。海鮮丼が3,000円、和牛の握りが数千円という「インバウンド価格」も頭が痛い問題だが、我々地元で働く人間にとって、もっと致命的な問題がある。それは「食事のスピード」だ。店を覗くとわかるが、外国人観光客、特に欧米からの旅行者は、ランチを実に優雅に楽しむ。会話に花を咲かせ、スマホで写真を撮り、昼からビールやワインを傾け、1時間、2時間と席に座っている。欧米でのランチはそういうものなので、仕方がないが、立ち食い蕎麦屋ですらそうなのだ。それはそれで結構なことだ。大いに日本の食を楽しんでほしい。ゆっくりとした食事を楽しめるのは羨ましい限りだ。しかし、こちらは仕事の合間の休憩時間である。優雅なタイム感に付き合って、回転の悪い列に並んでいたら、昼休みが終わってしまう。そこで地元民たちは、観光客が決して足を踏み入れない「結界」の向こう側へと退避する。それが、路地裏にひっそりと佇む、昔ながらの「地元の定食屋」だ。
「映え」とは無縁の茶色い世界
そんな(特定の店名は伏せるが、観音裏や裏合羽あたりに点在する)には、英語のメニューもなければ、タッチパネルもない。あるのは、油で少し黄ばんだ手書きの短冊メニューと、スポーツ新聞、そしてテレビのワイドショーの音。客層も見事に偏っている。作業着姿の職人、競馬新聞を広げた帽子のおじいさん、そして私のような地元の自営業者。ここに「カワイイ!」と叫ぶ女子高生や、大きなバックパックを背負った外国人の姿はない。出てくる料理も、インスタ映えなどクソ食らえ(失礼)と言わんばかりのビジュアルだ。
生姜焼き、アジフライ、サバ味噌、ハムカツ。皿の上は徹底して「茶色」である。野菜といえば、申し訳程度の千切りキャベツとパセリのみ。
「15分一本勝負」の暗黙のルール
こうした店には、明文化されていない鉄の掟があると思っている。「食べたらさっさと出る」。これに尽きる。ランチは「憩いの時間」かもしれないが、働く日本人にとっては「ピットイン(燃料補給)」だ。運ばれてきた定食を、無言で、しかし豪快にかき込み、茶で流し込み、「ごちそうさん」と席を立つ。滞在時間は平均15分。長くても30分。
この驚異的な回転率によって、薄利多売の定食屋経営は成り立っているし、我々も午後の仕事(や昼寝)に向かうことができる。もしここに、1時間、2時間居座る観光客が入ってきたらどうなるか。わずか数席のカウンターや小さなテーブル席は占拠され、常連客があぶれ、店の生態系は崩壊するだろう。英語メニューを置かない、愛想を振りまかないという「塩対応」は、店を守るための高度な防衛策とも言える。
絶妙な距離感
店を切り盛りするおばちゃんやおじちゃんの距離感も、このスピード感に最適化されている。
過剰な「おもてなし」はない。「いらっしゃい」「はいよ、生姜焼き」それだけだ。水がなくなれば、頼まなくてもドンとやかんで注いでくれる。この素っ気なさが、仕事で疲れた頭には心地よい。マニュアル通りの笑顔よりも、熱々の味噌汁と、黙って置かれるタクアンの小皿。そこに下町の人情を感じるのは、私が歳をとったせいだろうか。
教えないし、来ないでほしい
というわけで、今回は浅草の「地元の定食屋」事情について書いたが、具体的な店名は絶対に書かない。もしこれを読んだ観光客の方がいても、お願いなので探さないでほしい。そこは、スローフードを楽しむ場所ではない。浅草のじいさんたち、私のような代書屋が、世間の喧騒から逃れて一息つくための最後の「サンクチュアリ(聖域)」とでも言っておこう。