へそ曲がりなので、ロシア探しをしてみた

ウラジミール・プーチンのせいなのかもしれないが、とにかくロシアへの風当たりが強い。ひたすら悪者である。とはいえ、僕たちの世代くらいまでは、東西冷戦の時代にもかかわらず、ロシア、当時はソビエト連邦だが、縁があった。当時は日本でも労働組合が健在で、社会党など左派が力をもっていたこともあるかもしれない。とにかく、ロシア文化に触れる機会は多かったのだ。そこで、私のなかのロシア探しをやってみた。

幼少期

ロシア民謡

1960年代、当時は誰でも知っていたダークダックスというコーラスグループがロシア民謡をレパートリーにしていて、テレビやラジオでロシア民謡を耳にすることが多かった。NHKのみんなの歌でも頻繁にとりあげられたので、耳にすることは多かった。

ボリショイサーカス

もう一つ、子どもの頃の僕の思い出といえば、テレビでしか見たことがないボリショイサーカスである。ディズニーの番組なみの楽しみだった。ボリショイサーカスという団体があるわけではなく、ソビエトからかき集めてきたサーカスをそう呼んでいたらしいというのはあとから知った。熊の曲芸が有名だが、今見ると動物虐待にも見えるから、時代というのは変わるものだ。

https://youtu.be/zOeiW0eX7gQ

映画「戦争と平和」(ソビエト版)

いつだったか、実は正確には覚えていない。当時、学校で時折映画のチケットが配られていて、それをもらって見に行ったのだが、とにかく長いと思いながら座っていたことだけは覚えている。場所はテアトル東京だったと思う。後に、ハリウッド版を見たのだが、すごく軽い印象がした。映画を見たあと、買ってもらった文学全集で小説も読んでいるので、解らないなりに見たソビエト版もそれなりに伝わっていたのだと思う。

https://youtu.be/y0C-4jzJqv0

中学・高校時代

イワン・デニーソヴィッチの一日

1968年に川端康成がノーベル文学賞をとり、その2年後の受賞者が、ソルジェニーツィンだ。当時、日本から受賞者がでたこともあり、ノーベル文学賞そのものに脚光があたっていたのか、この作品は話題になっていたと思う。私が読んだのは、このとおり文庫版なので、多分、高校生になってからだ。最近、読み直してみた。スターリン時代の収容所での生活を坦々と描いた作品で、ストーリー展開が面白いわけではない。しかし、時にはユーモラスに描かれる収容所での日常は、人間はどんな環境でもしたたかに生きていけると思わせてくれる、やはり面白い作品である。




デルス・ウザーラ

黒澤明監督の作品で、アカデミー賞の外国語映画賞も受賞している。何故、見に行く気になったのかはまったく覚えていない。芸術上、想像上の意見は黒澤明監督を100%尊重するという条件でソビエトが制作をしたらしい。デルス・ウザーラは実在した人物で、ナナイ族という部族の漁師で、ウラジーミル・アルセーニエフ率いる探検隊のガイドをした。秘境の旅のガイド役という、このタイプの役回りはいろんな映画に登場するので、彼がモデルかもしれないと今でも思っている。もう一度ゆっくり見てみたいと思う。


ショスタコーヴィチ交響曲第5番



このアルバムを買ったのは、ショスタコーヴィチを聞きたかったからではない。バーンスタインを聞きたかったからだ。バーンスタインの代表作のウエスト・サイド・ストーリーの映画は、私が小学生時代の作品だが、実際に見たのは中学に入ってからで、クラスの女の子達がジョージ・チャキリスの話ばかりしていた。それがきっかけでバーンスタインを聴きあさったのだ。その中のひとつが、このアルバムで、当時はショスタコーヴィチなんて聞いたこともないと思っていた。針を落とした瞬間、笑ってしまった。鉄腕アトムで使われていたのを思い出したのだ。バーンスタインはウクライナ系ユダヤ人だ。ゼレンスキー大統領と同じである。

だんだんロシアが離れていく

大学、社会人とだんだんロシア文化に触れる機会が減っていった。ロシアに限らず、かつては、フランス、イタリアなど様々なポップカルチャーに触れていたのが、80年代のバブルの頃などは、アメリカ、イギリス一辺倒になっていく。そして、ソ連が崩壊し、その後は、子どもの頃の味わったような、すぐに思い出せるようなロシア文化に接する機会がなくなっていく。

ロシアを味わってみよう

プーチンのおかげというか、せいというか、とにかく、ロシアという国を再び強く意識するようになった。そこで、へそ曲がりの私は、今のロシア探しを始めることにした。といっても、やったのは「ロシア料理を食べる」である。浅草には有名なロシア料理店が4店舗ある。

ロシア料理ラルース

私の家から一番近いのがラ・ルース、ここにはウクライナステーキというメニューがある。本物のロシア料理も、ウクライナ料理も食べたことがないので、これがロシア料理かどうかは確信がもてないのだが、美味しいので、時折伺う。ロシアもウクライナも、私のお腹のなかではちゃんと折り合いがついているようだ。


ストロバヤ

食堂という意味らしい?、残念ながらまったくロシア語はわからないので、聞きかじり。こちらも古いお店で、古くから浅草に住んでいる方は皆さんご存じ。ペリメニというロシア風水餃子が絶品である。ロシア通に言わせると、「完成された料理で旨いが、ロシア料理ではない」らしいが、旨いのでこれもまたよしである。



他にも、マノス、ボナ・フェスタと浅草には4件ものロシア料理がある。実際にロシア料理かどうかはともかく、ロシア料理と名乗る老舗がこれだけあるのだから日本とロシアは縁があったのだ。

ロシア人の若者と呑む

ある店で、浅草に引っ越してきたミハエルというロシア人の若者と友達になった。あちらはミハエル、私はジョーなので、ゴルバチョフとバイデンだ。

ロシア人だが日本で育っているので、どちらの言葉もネイティブである。彼が、ある店で自分でピロシキとボルシチを作ってウクライナへの寄付をするというのでいってきた。本物のボルシチは実にあっさりしていて旨かった。もちろんウォッカも。

おまけ

ソルジェニーツィンの話に戻るが、彼はロシア、ベラルーシ、ウクライナのスラブ連合のようなことを考えていたらしく、プーチンとは意見があったと言う話がある。ソルジェニーツィンは2008年に他界しているので、今のプーチンを見てはいない。ソルジェニーツィンはその後のプーチン、そしてウクライナ侵略を是としただろうか。聞けるものなら聞いてみたいものである。

「暴力はそれ自体だけでは生きていけない。常に嘘(うそ)と結びついている。嘘だけが暴力を隠すことができ、暴力だけが嘘をつき通すことを可能にする」〜アレクサンドル・ソルジェニーツィン

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